これだけ自分なりにかわったつもりでいれば、それはもはや形骸だけのことで、ひとりよがりな感伤癖なのかもしれない。にしても、ぼくがなぜ书くかといわれれば、このうしろめたさあればこそと思う。ぼくは、直木赏受赏式の际、死にぞこないの、不浄の文字书きつづけるといったけれども、つまりはとうてい、それ以外の文字などのぞむべくもなく、心中のかたわれ、神戸の长吉、卑怯未练な、わが志のべるしかないのである。别に、无惨な死にざま果たした、养家の肉亲や、焼迹の少年达の镇魂歌を书くつもりはなく、书けもしないが、その死にかかずらわって、ただ逃げてばかりいた、今、生き长らえる自分の、後ろめたい気持ちに、责めたてられ、あざ笑われ、ののしられつつ、ぼくはぼく自身のちいさい文字を书く。